カイザー日記

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2009年 09月 30日

運動会で思うこと

こんばんは。

小学校の運動会が終わって3日。
我が家族の運動会も終わりました。


で、ふと思ったのが、家族によっていろいろ有るんだろうなってことで。。。


ウチの場合、というよりも、僕の場合、子供の頃に父親が運動会に来ることは
ほとんどありませんでした。

もし来ていたとしても、一瞬、気付かない程度の時間だけ、どこか後ろの方で
こっそり見ていただけだったそうで。。。


けっして子供が嫌いだったわけではありません。


父親は若い頃からサッカーをしていて、そこそこの選手だったみたいですが、
日曜になると四国リーグや東予リーグの試合で四国中や愛媛を駆け回って
いました。
子供よりサッカー優先・・・今思えば、我が家の決まり事だったような気がします。


また、今治サッカー少年団の創成期より指導者として参加していたこともあり、
仕事が休みの日はとにかくサッカーばかりで、家族でどこかに旅行したという
記憶はまったくありません。

僕が大人になって休みの度に遠くに出掛けたいという願望は、子供の頃の
反動なのかもしれません。


小学校の運動会で昼のお弁当を食べている時間、一人の子供が正面ゲートの
前で待ちぼうけ。。。学校側が何度も何度も保護者を呼ぶ放送をしていました。
結局は保護者(だと思う人)が迎えに来たのですが、きっと子供は心細かった
ことでしょう。

幸いにも我が家はというと、子供にとっては両親と祖父母(しかも両方の)が
居るのが当たり前に思っていることでしょうが、でも、家庭によっては
両親が仕事で観に行けなくておじいちゃんおばあちゃんが来てるところや、
誰も来られないところもあるのではないかと思います。

家庭の都合と言ってしまえば仕方がないのかもしれませんが、そのしわ寄せが
子供へ来て、子供が子供らしくいられないのは辛いです。


僕は子供の頃に味わったちょっとした空虚感を、できるだけ自分の子供には
味わせたくないと思っています。


そんな僕の父親は、子供より孫の方が大事なのか(笑)最初から来て最後まで観て
帰りました。お昼ごはんも一緒に食べました。
そこで母が「お父さんはほとんど運動会に来れんかったもんね。サッカーで。」
と昔話をしていました。
今はサッカーをやめているので、時間が自由にあるからかもしれません。
もしかしたら自分の子供への罪滅ぼしのつもりなのかもしれません。
僕が大人になってからも本人へその時の事を聞いたことは一切ありませんし、
今後もたぶん聞かないと思います。

でも、我が子の小学校の運動会に来てみて、ふと、昔の事を思い出さずには
いられませんでした。

過去の事は取り戻せないこと。
これから先の事をずっと見ていきたいと思います。



些細な事と思われるでしょうが、子供の頃の出来事は一生残るものです。
子供に寂しい思いをさせない気遣いや地域ぐるみの協力も必要ではないかと
思いました。



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by shinya-ue | 2009-09-30 01:12 | 日記 | Comments(5)
2009年 09月 28日

犬島アートプロジェクト『精錬所』

最近、注目されている犬島。

昨年末、直島アートに触れられたカイザー一家は、そのままの流れで
犬島に行こうと計画してましたが、、、
なんと、完全予約制だという事を初めて知り、あえなく断念。

今回はリベンジという形で、事前に予約をしておきました。

犬島アートプロジェクトのホームページへ

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犬島は、岡山県南東部の宝伝から南、定期船で約8分ほどの瀬戸内海国立公園内
に位置し、岡山県岡山市に属しています。
面積は約0.54平方km、周囲3.6km。6つの島からなる犬島諸島のうち唯一の
有人島です。
良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、古くは江戸城、大阪城、岡山城の石垣、
明治以降では大阪港礎石の切り出し場となるなど、全国各地で犬島の石が珍重され
ています。
2007年、経済産業省による「近代化産業遺産群」のひとつとして岡山市犬島の
精錬所跡地が認定されました。犬島精錬所は1909年に地元資本によって建設され、
後に藤田組、住友へと経営者を変えながら、銅の精錬を行っていましたが、銅価格の
大暴落によっておよそ10年で操業を終えました。 最盛期には3000人程いた人口は
55人にまで減少しました。
そのような犬島に、直島に続くアートプロジェクトの第1期が2008年4月より始まり
ました。


宝伝11時発のボートに乗り、11時35分からのツアーに参加しました。

開始時間までのあいだが長く感じるんですよ。
せっかちなカイザー父は「勝手に行く!」と言い出し、周囲になだめられます。

本当にスローライフを過ごすにはピッタリの島だと思います。

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島の周りは海・海・海。
海岸線に沿って並んだ犬島石。
精錬所へ向かって続く芝生と道。
本州側を見ると、遠くに見えるのは牛窓のリゾート地の白壁。
まさに癒しの世界へいらっしゃい!って感じですね。

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受付を済ませ、チケットとパンフレットをもらいました。
チケットは裏がシールになっていて、服に貼りつけます。
その姿が、なんだか『バリブロ会』を思い出させて、ちょっと笑ってしまいました。



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by shinya-ue | 2009-09-28 01:31 | 旅行 | Comments(0)
2009年 09月 27日

小学校の運動会

こんばんは。

今治市の小学校に通う子供をお持ちの皆さん、お疲れ様でした。
学区によっては、小規模でアットホームな運動会であったり、
地域を巻き込んだ運動会であったり、大規模な運動会であったりと
いろいろだったのでしょうね。


さて、今年から僕の娘が通っている某小学校でも、運動会は行われました。

その前に、、、
昨日の夕方は、グランドに集合してテント張り。
本来であれば仕事だったのですが、SW中の出勤の代休を貰い、この日は
休みだったので参加しやすかったのですが、土曜日が仕事の人にとっては
夕方5時過ぎからテント張りするので・・・というのはちょっと可哀そうな気が。

何故かというと、この『テント張り』に参加しないと、翌日の入門優先券を
貰えないんですよね。

入門優先券とは、その券を持たない一般の参加者よりも30分早くグランドに
入ることができ、テントの下の場所取りが優位になる特典(?)券なんです。

僕はこの小学校の卒業生ではないので、昔のことはよく分かりませんが、
やはり我が子の応援に熱心であったり、まだまだ暑い時期ですから、炎天下で
お弁当を食べさせたくないという気遣いもはいっているのでしょうね。
かつてはそれがエスカレートして、前日からテントの下で寝泊まりしていたという
話も、今朝どこかのおばあちゃんから聞くことができました。

前日から場所取りをする事がズルイことなのか努力と見るのかは、意見が
分かれることだと思いますが、とにかくそのような事を抑える意味があって、
入場優先券というシステムが出来たのだろうと予測しています。

ただ、この入場優先券システムについても、あちらこちらで賛否両論。
「努力した人は報われる」という意味では円満なシステムなんですけどね。


ただ、今年は少し・・・入場前に揉めました。


当日(今日)の朝、3時45分に“何故か”早起きが出来た僕は、シャワーを浴びて
家を出ました。そして、小学校前に到着したのが4時15分。

昨年の一番乗りが4時だと、会社の先輩から聞いていたので、あまりにも早く
来すぎて恥ずかしくない程度にしたかったんですよねぇ。


すると、車のヘッドライトが照らす先には、かなりの行列が・・・(驚)
既に正門の前には20名くらいの人が並んでおりました。
さすがに一番乗りの人に時間を聞くことはしませんでしたが、3時台から来てた
のでしょうか?(笑)


その後、開門する6時15分までに、場所取りの人の行列は増えていきました。

その距離、およそ数百メートル。
ここは都会のデパートでもなければ、ドラクエやウインドウズを買うために
家電量販店の並んでるんじゃないんですよ!ただの小学校の前です(笑)


でも、やっぱり慣れた人は違いますね。
アウトドアやスポーツ等で使うターフを持ってきて、テントの後方に置く人や
バーベキューに使う折りたたみテーブル・椅子セットを持ってくる人、
待ってる間の暇つぶしにPSPやDS持ってきて遊んでいる人など様々。
僕もDSでもしようと思っていたのに、シートを持って行くのが精いっぱいで
そこまでの余裕はありませんでした(汗)



夜が明け始めて6時過ぎ、いよいよ開門の時がやってきます。
すると、みんなの前に出てきたPTA関係の方?の説明に一瞬凍りつきました。

「えー、今年はテントの前にロープを張っています。ロープの前で待機して
もらい、ある程度の人が入ったらロープを下ろします。それから場所取りを
してください。」


一度では聞き取れなかったからということで、再度聞き直し。

「ですから、今年はテントの前にロープを張っています。ロープの前で待機して
もらい、ある程度の人が入ったらロープを下ろします。それから場所取りを
してください。」


すると、「質問ですが、ある程度の人とは並んでる人全員ですか?」

回答は「そうです」


え・・・・

それって、早く来ても開門時間ギリギリに来ても、同じ地点からのスタートやん。



その瞬間、前方でおよそ2時間以上待っていた人からの怒号。

「それって、朝早くに起きて並びに来た人に対して、何にも考えていない!」
「何考えとんぞ!」
「いい加減にせえよ!」

でも、スタッフの方が一度決めたことは変わりません。
決まりは決まりです。


それはそれで理解できます。
入門した瞬間からテントまでの間を走って、転んで怪我でもされたら大変です。
ただ、去年のやり方と方法を変えているのであれば、
当日になって、「今年はこのようにします」ってだけなのは説明不足ではなかったか?
とは思います。
去年は聞くところによると、早く来た人から順番に10人ずつ時間間隔をあけながら
入門させていたとか・・・それで誰かも文句が無く、円滑に進んでいたとは言って
ましたが、どこかに問題があって変更させたのでしょうか?



ついに6時15分、開門です。
テントの前にロープを持ったスタッフの人たちが居ます。
いつロープを降ろすのか待ちながら、シートを広げ少しでも良い場所をキープ
しようと狙っています。


僕の周りには、とりあえず同じ団地の人たちが多かったせいか、それほど争いに
なるような事もなく、無事にシートを敷いて、一旦家に帰りました。
(割と、母子間の仲が良いのか、自分の子供の時になると、前の方を譲ったりして
上手に場所を回していたので。)

これで一応、任務終了です。



運動会本番は・・・まぁ普通の運動会でした(笑)

子供の一生懸命さは伝わる運動会でしたが、中には「この子、本気でやっとんか?」
と、近所のパパと話してたんですけど、綱引きなんか特に、後ろの方は一生懸命さが
伝わってこない子とかがいたんですよね。
最近の子供のはそんなもんなのかなぁと思いました。


まぁ、ウチの子は・・・ラジオ体操の前に広がる時、基準として名前が呼ばれたのと、
走る方は、障害走3着、徒競争4着の結果に終わり、幼稚園の時(1着)とは違うことを
あらためて感じさせられました。

体が小さい子と大きい子だったり、早生まれとそうでない子との体力差は全然違います。
まだ一年生なので、この差は仕方がありませんが、大きくなるにつれて少しでも差が
縮まってくれたらと期待しています。


割と大きなグランドで、部落別に分かれたテント。
部落別のリレーはお約束。
まずは保護者のリレー、その後は児童のリレーです。
やはり、ご近所の知ってる人・子供が出ていると、応援にも熱が入ります。
ちょうど僕達が座ってたところには、同じ団地に住んでいる人ばかり、新しい団地なので
若い家族が多く、子供も多い団地です。(〇ル〇ールという一つの部落になりつつある)
その家族みんなが「次は〇〇ちゃんが出るよ」と一つになって応援する。
新しく出来た地域が早速一つになってるんですよねぇ。


最後、閉会式の時に、雨が降り始めました。
なんとか天気ももちこたえました。
小雨から徐々に本降りに変わっていく中で、最後まできちんと運動会をやり終えた
子供達、先生方、保護者の皆様、お世話をされた皆様、お疲れ様でした。
子供が小学生になって初めて分かったこともいろいろありましたが、まずは来年も、
今年と同じように「自分の任務」を遂行することを頑張っていこうと思います。



今日は文章ばっかりですが、ご容赦くださいね。
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by shinya-ue | 2009-09-27 22:42 | イベント | Comments(11)
2009年 09月 26日

宝伝港

こんばんは。

小学校の運動会の準備は夕方5時過ぎから始まり、あっという間に
終わりました。なにせ、ほとんどの保護者が来ているのですから、
自分達が座る場所のテントなんてあっという間に出来てしまいます。
実際、手際の良かった地域だと10分で終わりましたが、全部が終わるまで
「入門優先券」は配られません。

入門優先券とは、運動場への一般開場時間よりも30分早く入門できる権利で、
場所取りへの規制の一つみたいなもんらしいです。

結局、家に帰ったのは6時過ぎで、楽勝な作業でした。
でも、お世話してるPTAの方、先生方は準備が大変なんでしょうねぇ。
いつか何かが当たった時は覚悟しておかないといけないですね。




さて。
今日から岡山の旅・・・といっても、今回は一か所しか行っていないのですが、
結構、楽しく、ためになる、素晴らしい島へ行って参りました。

その島とは、犬島です。

『進研ゼミ』などで有名なベネッセコーポレーションが、犬島にある近代化
産業遺産(銅精錬所跡)を犬島アートプロジェクト第一弾企画として復活させ、
完全予約制で見学することができます。
アートの島として既に世界中に認知されている直島からも定期船が出ており、
船で30~40分くらいらしいです。
来年には瀬戸内国際芸術祭が控え、益々盛り上げって行く地域です。


その犬島への玄関口となったのが、宝伝港(ほうでんこう)です。

岡山県岡山市の南東部にある小さな漁港です。
車で数十分東方向へ走ると。日本のエーゲ海と呼ばれる牛窓があります。
この港には昔の日本の風景が残ってます。でも・・・


お店がほとんどないんです。


コンビニも飲食店もほとんどありません。
仮設?プレハブのカフェが1軒と、民宿のようなところが数軒?
公衆トイレはなく、駐車場に仮設トイレがあるだけでした。
自動販売機もなかったような・・・


1時間も早く港に着いてしまって、暇で暇で・・・
途中のコンビニで時間をつぶせば良かったかなとちょっと後悔。


でも、景色は間違いなく良かったです!!
数年前、高潮で腰の高さくらいまで水が上がって来たとか。。。と
地元の方と庭先でお話したりとかして、、、
地元の方との触れ合いも結構簡単にできましたよ。

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宝伝港から犬島港までは、船でおよそ5分の距離で、あっという間の船旅でした。
2枚目の写真は、宝伝港から犬島を撮ってみたところです。
精錬所の煙突がかろうじて見えますか?


次からは犬島アートプロジェクト編です。
お楽しみにしていて下さいね。



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by shinya-ue | 2009-09-26 20:37 | 旅行 | Comments(0)
2009年 09月 26日

スティックスイーツファクトリー

こんにちは。

天気は良いけど、時間の制約がある時は苦手です。
「〇〇時までに帰って来てよ」とか言われると、あまり遠くに行けません。
夕方5時頃までに帰らないと・・・と思うと、行く場所に困ってしまいます。
あ!今治の町で行くところが無いわけじゃないんですよ。
探せば良い所たくさんある筈なんです。。。探せば。
でも、探す時間も勿体無いというか、でも、当たり障りなくいつも行くお店
ばっかりブログに書いても・・・正直、ネタ不足バレバレのような気もするし。

じゃあ、今日は今からアソコに行ってみよ。
今治市が世界に自慢できる場所です。
ヒントは最近行った場所に関係あるところです。




さて。
広島市の紙屋町シャレオという地下街を歩いてみました。
広島市内で初の地下街だそうです。

どー考えても「オシャレをもじっただけやん!」としょうもないオヤジギャグを
連発した僕。嫁からは「ありえん!」と、かなり馬鹿にされましたが、、、

調査の結果・・・
全国から公募され、「オシャレで楽しい生活を提案し、行き交う人々が主役となり、
新しい発見がある街」との意味を込めてつけられた名前だそうです。

当てずっぽで言ったことが当たっていました。


そのシャレオでちょっと休憩しました。
スティックスイーツファクトリー、紙屋町シャレオ店です。

全国どこにもありますから、別に驚くことはないのですが、ショーケースに
飾られているいろんな種類のケーキを見ると、どれだけ食べようかなぁ・・・
と思う気持ちは誰にだってあるはずです。
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その中で選んだのが、純生ロール。
だって・・・他のより大きそうじゃないですか?
しかも、他のケーキより安いし。
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見た目や値段だけではありません。
スポンジはふわふわだし、生クリームも甘すぎず、1個で終わらせて良いものかと
思いましたが、訳あって、お好み焼きをおよそ2枚半食べた後だったので、
この辺で勘弁してあげました(笑)


愛媛にも、エミフルMASAKIの中にあるし、食べたくなったらエミフル行こうかなぁ。
エミフルにも食べる場所があったら良いんだけど、横のパン屋さんのスペースで
食べるのも気が引けるし。。。2階のフードコートまで持ち込むのもどうだかなぁ。

一応、今回で広島編は終わりです。
次はどこに行ってるのやら。。。お楽しみにしといてくださいね。


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by shinya-ue | 2009-09-26 14:35 | スイーツ | Comments(0)
2009年 09月 26日

広島城

おはようございます。

今日はお休みです!
カーテンを開けるとよい天気・・・なので、どこかへ行きたいなと。

ただ、夕方からは子供が通う小学校の運動会の準備に参加です。

準備に参加しないと場所取りの権限がないそうで、以前起こった場所取りの
エスカレート(前日からシートを敷いておく等)をうまく利用された感じです。
しかも、去年の運動会当日の朝一番乗りは4時だったとか・・・
やはり子供の姿をビデオに撮る等は最前列の良い場所がいいんでしょうね。
子供のためなのか、自分の自己満足なのかは横に置いときまして。。。
というわけで、今日の夕方と明日の朝は父親としての役割が大きそうです(笑)

娘は今年入学した一年生なので、その親も同じく一年生。
そのような地域のしきたりって、誰かに聞かなきゃ分からないんですよね。
ちょうど同じ会社の先輩の娘さんがウチの娘と同じクラスだったので、
聞いてみることにしたのですが、周りから「〇〇小学校はやり過ぎだ!」との
声もあったりして、、、
僕達が子供の頃は、準備や片付けに親が出てきた事はなかったような気が。
児童の数も少なくなったからでしょうか?先生が楽したかったのでしょうか?
児童に怪我させたら問題なるからなのでしょうか?



さて。
広島の旅はまだまだ続きます。いつまで?さぁワカンナイ・・・

城好き、歴史好き、戦国時代好きのカイザーにとっては、広島に来て広島城を
見ないということはありえません。

でも、宿泊したホテルのカーテンを開けると、まさかの出来事。

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広島城やー

ボルテージは一気に上昇!!
まさか真正面に広島城が見える部屋だなんて、神様っているんですかね?
それともホテル側の気遣い?いや、偶然でしょ(笑)


ひと休みして、数年振りに会った従姉妹との再会を果たし、少々長話をしたあと、
広島城の天守閣を目指して歩いてみました。

広島の街って、割と自動車イラズの街かもしれません。
路面電車もバスもかなりの便が出てるし、徒歩でも十分行動できます。
今回広島に居た時は、基町を起点に結構な距離を歩きました。


宿泊ホテルから天守閣までは徒歩でおよそ15分くらいだったか?
結構、見どころがいっぱいあるんですね。


いよいよ広島城内へ入場です。
大手門から入ります。
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広島城は、戦国時代後期の1589年に毛利輝元の下で築城が開始され、
城の構造は大阪城を、縄張りは聚楽第を模していたそうで、屋根には金箔瓦を
用いていたとか。
当時は中国地方の大大名であり、豊臣政権の五大老の地位であった毛利家で
あったことより豊臣秀吉からの信任も厚く、朝鮮征伐の後方基地としての考えが
あった秀吉からは築城の協力もあったようです。

しかし、毛利家は関ヶ原の戦いで西軍についていたことから、周防国と長門国の
2国に減らされ、居城は萩へ。
その後、福島正則が入城しますが、徳川幕府の武家諸法度にあった城の補修に
際しては幕府への届け出を行うという事を行わず、それが元で信濃国へ転封。
その後、紀伊国より浅野家がやってきます。
浅野家は、豊臣秀吉の親戚筋にあたり秀吉のと元で活躍した長政から始まり、
長政の二男の長晟が初代藩主となりました。
その後は明治時代まで浅野家の統治が続きました。
余談ですが、忠臣蔵で有名な赤穂浅野家は分家で、広島が本家です。


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江戸時代末期には長州征伐の最前線基地として使われ、明治時代には大本営が
置かれ、太平洋戦争ではついに原爆によって破壊されてしまった広島城。
最後まで戦争に使用されたお城というイメージが持てます。


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大政奉還が起こり、明治時代になってから本丸跡には軍の施設が置かれるように
なりました。写真の場所は、日清戦争時に大本営がおかれた址です。
一時期は明治天皇が滞在したことがあるそうで、今までで唯一、東京以外で国会
(帝国議会)が開かれたのも広島だったみたいです。


原爆によって破壊されるまで、天守閣は国指定国宝だったのですが、昭和32年に
再建された鉄筋コンクリート製のレプリカ城です。
でも、歴史を感じてしまいそうな黒壁と威風堂々とした姿は、広島になくてはなら
ないものではないかと思います。


広島城周辺の夜景も綺麗です。
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お泊まりはリーガロイヤルホテル広島です。



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by shinya-ue | 2009-09-26 11:23 | 旅行 | Comments(2)
2009年 09月 26日

聖地

こんばんは。2日ぶりです。

昨日は朝からひどい頭痛で、家に帰り横になってたらいつの間にか
寝てしまっていました。。。9時間も。
なので、今日はなんとか大丈夫です。

元々、肩こりはヒドイ方なのですけど、肩こりからくる頭痛はヤバいって
言いますからね。気をつけなきゃいけませんかね。


さて。
広島東洋カープの聖地と言えば。。。ココかな?

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旧・広島市民球場です。


場所は、平和記念公園のすぐ横の方だったりします。
徒歩で宿泊ホテルの方へ帰ってると、真横を通る機会があったので写真を
撮ってみました。


僕は生粋ではありませんが、数十年間、広島カープファンです。
正直なところ、元々は読売巨人軍のファンでした。
小学生の頃までは・・・と言った方が良いのでしょうか?

その頃はというと、なぜか通学用の帽子にはYGマークがついていて、
テレビをつけると巨人戦ばかり。。。
どう考えても、巨人ファンになるために洗脳されていたような気がします。

巨人が悪いわけではありません。
あまりにも他の球団に目を向けられないような状況。
特に、プロ野球チームが存在しない地域にとっては顕著でした。

でも、小学生の頃(昭和50年代後半)の巨人は好きでした。
選手も生え抜きばっかりで、強さとともに人気もありました。
人気というのは、チーム全体でもあり選手個人にも有った時代です。
選手の名前と顔とが一致した時代でした。

たとえチャンスに打てなくっても、4番サード原が好きでした。
桑田よりも斎藤雅樹が好きでした。
ガリクソンよりもサンチェの方が好きでした。



でも、まさか巨人からカープのファンになるなんて、小学生の頃は
思ってもみませんでした。

やっぱり、家族の長が「黒」といえば黒です。「右を向け」といえば
右を向いてしまうのでしょうか??

我が家の大黒柱であるカイザー父は、生まれも育ちも広島県で
生粋のカープファン。
テレビを一緒に見ていても、試合に負けていれば機嫌は悪いです。
それが広島vs巨人だったら・・・テレビは消されました(笑)

ご機嫌とってたらいつの間にか・・・というのは冗談ですが、その当時の
メンバーが良かったんですよね。

江藤、前田、野村、金本、緒方、正田なんていうと、とっても魅力的な攻撃陣。
ただ、この頃は投手陣が少し弱かったんですよね。
1991年以来、優勝から遠ざかって18年。
ここ数年もクライマックスシリーズ進出にも届かない残念な結果に終わっています。
今年も力尽きたかな?いや、まだ諦めてはいけない。
これから連戦連勝でなんとか3位に滑り込み・・・になればイイナ。


これからもずっと広島カープを応援していきたいですが、まだ親子共に
スタジアムに行けていない現実もあり、新球場に早く行って応援したいんです。

先週、広島に行った日は残念ながらビジターの試合で行けてないまま。
親子で残念がってました。
いつか親子で行ける日が来るかな?



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by shinya-ue | 2009-09-26 01:00 | 旅行 | Comments(0)
2009年 09月 23日

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

シルバーウィークもいよいよ終わりですね。
皆さん『サザエさん症候群』になっていませんか?025.gif

まぁ、明日と明後日の2日で早くも週末へ。
といっても、今週末は娘が通ってる小学校の運動会です。
土曜日は運動会の準備、日曜日は本番です。



さて、広島の旅の続き。まだまだ後がつかえていますが・・・

原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

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建立年月日
1952(昭和27)年8月6日

建立者 広島市

設計者
丹下健三

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形状
材質:みかげ石「黒髪石」(石室部分)
みかげ石「稲田石」(屋根部分)(1985(昭和60)年の改築工事までは
コンクリート製)
形態:屋根の部分は、はにわの家型(犠牲者の霊を雨露から守りたいという
気持ちからこの型にした)

建立の目的
世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建すること
を念願して設立したもの。

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碑文
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」


碑文の由来
諸霊の冥福を祈る気持ちを誓いの言葉に結びつけることに苦慮した
当時の浜井市長の命を受けた秘書係長が、碑文の古典研究に造詣の深い
広島大学の雑賀忠義教授に碑文の作成を依頼し、翌日即決した。

碑文の趣旨
広島市は碑文の趣旨を正確に伝えるため、日・英の説明板を設置し、
「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び
繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて
全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心が
ここに刻まれている」と記しています。

原爆死没者名簿 中央の石室には、国内外を問わず、原子爆弾に被爆し、
亡くなられた方の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められています。
名簿は関係者の申し出により書き加えられ、2007(平成19)年8月6日現在、
91冊(253,008人の名前が記帳された90冊と「氏名不詳者 多数」と記された
1冊)になっています。

以上、平和記念公園ホームページより。


丹下さんは、慰霊碑他このプロジェクトに関して、イサム・ノグチを強く推して
参加させていたそうですが、「原爆を投下したアメリカ人の手になるもので
被爆者への慰霊になるか?」という周囲の声によって、自身で担当することに
なったそうです。
といっても、イサム・ノグチのデザインをそのまま流用し、造ったそうですけど。


訪れた日は風も強く、バックにたなびく国旗・日の丸と慰霊碑とがなぜか
心に深く入ってくるような気がして、それを写真に収めました。


碑文については、人々への想いや今後の決意がいっぱい詰まっていて、
平和へのシンボルとしての役割も果たしていると思います。



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by shinya-ue | 2009-09-23 22:25 | 旅行 | Comments(0)
2009年 09月 23日

広島平和記念公園

一度は来てみたいと思っていた。

広島の平和記念公園に。

高速道路などのインフラの良さによって、広島市は四国・今治から車でおよそ
2時間で行ける距離になった。現在はETC割引での通行料安によって、
さらに利便性が良くなった。
時間だけで考えると、同じ四国内の高松市・徳島市・高知市へ行くのとそれほど
変わりもなく、同じ愛媛県内の内子や大洲へ行くのとも変わりはない。

そういう面では、橋の料金が高いため四国内から出るのも大変だった時代に比べ
行動範囲が広くなった。広島へ行くのも倉敷へ行くのも、先に述べた場所へ行く
のも掛かる時間は変わりはないだけに、今後、観光客にとって魅力的な街造りが
重要となる。



話は戻りますが、原爆が落とされた街、広島市。

かつては日清戦争時の戦争指揮の為に設置され、明治天皇も滞在した大本営が
置かれていた街、軍都・広島。
近隣には、戦艦大和も建造された海軍工廠が置かれた呉市もある。


戦時中の日本にとっては最重要だった広島に、世界初の原子爆弾は投下された。
それはまさに、アメリカ側にとっては圧倒的な力を見せつけた意地であり、
日本にとってはこれ以上戦争を続けられない状態になった瞬間と考えられる。

1945年8月6日午前8時15分。
この一発によりおよそ14万人が亡くなった。


戦後、広島市の復興のため様々な人々の願い・希望に反し、資金難などにより
復興までの道のりは遠かったけれども、1949(昭和24)年8月6日に公布された
広島平和記念都市建設法により復興を決定づける道筋ができた。

広島市を他の戦災都市と同じように単に復興するだけでなく、恒久平和を象徴する
平和記念都市として建設しようということであった。この法律により、それまで行われ
ていた復興都市計画はすべて平和記念都市建設計画となった。
このことにより、広島は世界のピースメーカーとなるべく崇高な平和都市としての
理念を持っていることになる。

b0146414_1912899.jpg


注意すべきは、この写真にもあるように、記念碑と原爆ドームとが一直線に結ばれて
いる点であり、これが基本的なデザインの元になっている。
当時は単なる廃墟であった原爆ドームを、この公園のシンボルとして考えた先見の
良さは、公園の設計者によるところが大きい。

この公園の計画を実現する上で重要な役割を果たしたのが設計コンペティションであり、
このコンペは記念公園と施設の全体をデザインすることを求めた。
1949(昭和24)年4月20日に設計公募を開始。同年8月6日に145点の応募作品の
中から、当時東大助教授の丹下健三のグループが1等入選をした。


丹下健三さんの父親の出身が今治市であり、本人も小学校から高校までの約10年間、
家族で今治市に住んでいたそうで、(一応?)地元のスーパースターがこの平和記念
公園のイメージを作りだしたという事を知ると、余計に親しみを感じますね。


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by shinya-ue | 2009-09-23 19:41 | 旅行 | Comments(8)
2009年 09月 23日

世界遺産 原爆ドーム

おはようございます。
突然ですが、今日はこの方の誕生日のはずです。
この場を借りてお祝い申し上げます003.gif



さて。
広島にはユネスコの世界遺産がありまして。。。みんな知ってるって・・・


原爆ドームです。

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原爆ドームとは本来の名前でなく、元々は広島県物産陳列館として開館し、
原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた建物です。
建物の中央部分の天井がドーム状になっており、このドーム部分が被爆後も
残っていたので原爆ドームと名がついたそうな。

b0146414_8185888.jpg


この建物の建設の背景は次のようなことであった。

広島市は日清戦争で大本営がおかれたことを契機に軍都として急速に発展していった。
経済規模の拡大とともに、広島県産の製品の販路開拓が急務となっていた。
その拠点として計画されたのが「広島県物産陳列館」である。1910年(明治43年)に
広島県会で建設が決定され、5年後の1915年(大正4年)に竣工した。
設計はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル。
ネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ混成様式の建物であった。


近づいていくと、徐々にその建物が単なるオブジェや飾り物ではないことが理解できる。

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高くそびえたっているけれども、脆くも崩れてしまいそうな建物。
強度を維持するために、外観を損なわない最小限レベルでの補強が行われている。
下には瓦礫の山が積み上げられ、もちろん立ち入り禁止である。
この世界遺産を維持するために、相当分の費用と労力がかけられている。


世界中に世界遺産は数あれど、この建物は美術品でも歴史的建築物ではない。
世界で最初に原爆が広島に落とされたという証拠であり、
過去の悲惨な戦争を再び起こさないようにという願いが
込められているメッセージ性のある世界遺産であり、そういう意味合いの遺産は
世界にも数少ない存在である。


戦争を知る世代が徐々にこの世から減ってきている現在、深いメッセージをいつまでも
後世に残すために、いつまでもこの建物がこの場所にあり続けることを願います。


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by shinya-ue | 2009-09-23 08:42 | 旅行 | Comments(2)