カテゴリ:歴史遺産( 12 )


2013年 12月 30日

天空の城 竹田城

こんにちは。


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まだ車両通行止めになっていなかった頃のこと。

そして、事故かなんかで本丸が封鎖される前の出来事です。


『天空の城』と呼ばれ、今では大人気観光地となった兵庫県朝来市和田山町の竹田城跡。

霧に包まれる幻想的な風景に心奪われる方も多いのでは。

僕も以前から行ってみたいと思ってたんですが、ふとした休みの日、思い付いたように行くことにしました。


突然の思い付きプチ旅行は得意中の得意です。

片道4時間の日帰り旅行なんて普通に行きますから004.gif


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流石に人気のスポットですから、普通に近くの駐車場へ停めることが出来るはずもなく、

山麓の臨時駐車場みたいなところまで後戻りです。


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山城の郷から見た自動車の列。

中腹駐車場までが何時間待ちになるかわからないほどで、歩いてもそんな変わんないか、

それ以上かかるんじゃないかって思いましたね。


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まだこの頃は余裕顔。

隣の白いのは、寒いと言うので僕の上着を貸してあげました。

完全にオバQの姿です。



こうして徒歩で行く竹田城ですが、およそ50分くらいはかかったかも。

なにせ、見える城跡は隣の山のてっぺんですから、どんだけ歩くんだろうと恐る恐るの山登りでした。

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一生懸命歩いて、中腹駐車場近くの山門へ到着しましたが、ここからが本番でした。

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ここで、入場料の支払いをしてから徒歩で約20分。


ようやく念願の竹田城址へ到着しました。

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本丸跡まで登った眺めは最高でした。

霧に包まれた時の眺めも良いのかもしれませんけど、普段の日でもすごく綺麗ですね。

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今度は霧に包まれた竹田城を生で見てみたいと思います。

来年への楽しみです。


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by shinya-ue | 2013-12-30 17:36 | 歴史遺産 | Comments(0)
2013年 12月 17日

今治城散策歴史ツアー(その1)

こんばんは。

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11月の日曜日に、今治市PTA連合会主催の子供歴史ツアーに娘と参加しました。

場所は今治のシンボル今治城です。

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時間ギリギリに行ったわけでもなかったのですが、下の市営駐車場に車がほとんど見えなかったので

変だと思いつつお城へ上がってみると、結構な数の子供がいました。

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今回のガイド役講師は、地域史研究家の大成ケイボンさんでした。

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娘が学校から応募用紙を持って帰ってきて「ケイボンさんのツアーやけん行くんやろ?」と言ってきました。

そりゃあ、ケイボンさんの歴史ツアーならばお金を払ってでも行きたいもので、それが無料で行われるの

ならば、行かねば損だと思っております。

個人的には、ケイボンさんを持ち上げたり神様のように特別扱いするようなことはしないので、普通の

たまに一緒にお酒を飲み、たまに地域の歴史を教えてくれるお兄さんとしか思っていないんですが、

自分たちが生まれ育った地域には、埋もれていて磨けば光る歴史遺産がたくさんあることを教えてくれる、

そのことを普及するために尽力されている人ではあります。


しかし、ツアーが始まる前の第一声が酷かった(笑)

あれ?桜井と波方と波止浜からも来ているんですか?その地域は昔は今治藩ではなかったんです。

てっきりその地域の学校にまで応募用紙を配布されているとは思いませんでした、とグサリ。

イヤイヤ、そこも今では立派に今治市ですから(笑)

たしかに、今の今治市の中にも、藤堂(今治)藩と加藤(松山)藩に分かれていた場所があったし、

松山も今治も久松松平家が統治した時代でも分かれていた部分は有ったし、桜井はのちに天領

(幕府の直轄地)になりましたしね。

でも、12市町村で大合併した今も、立派に今治市です。

そこに住む一人一人が故郷である今治の歴史をきちんと学び、きちんと後世に伝えていくためには、

まず子供の世代からきちんとした歴史教育をするべき、というのは正解だと思ってます。


まずは城の南側の石垣上から西側を半周歩きました。

二の丸跡から本丸跡を、昔を思い起こしながら歩きまして、北側にある一つ目のポイントに到着。


今治の市制施工を記念して造られた開市記念の時報塔です。

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丁度大きさの分かるモデルさん2名が目の前に立ってましたので、撮影してみました。


次に、二の丸跡へ。

ここには今治綿業の父と言われる、綿ネル製造を今治で始めた矢野七三郎の銅像へ。

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矢野七三郎は今治タオルの父ではありません、それは誰でしょう?の問いに、阿部平助がサッと

出てくる子供がいまして、まだまだ今治の小学校教育も捨てたもんじゃありませんね。


そのあとは、いよいよ立ち入り禁止区域に侵入します。


つづく。


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by shinya-ue | 2013-12-17 23:57 | 歴史遺産 | Comments(0)
2010年 11月 01日

大成ケイボンさんガイド☆桜井ツアー(2)

今治の綱敷天満宮って実は二つあるってこと、今治市民でもあまり知られていないようです。
でも、地元桜井に住んでる方だったら知っているようで、、、知らないかも?


主に周知されている方の綱敷天満神社が『新天神』と呼ばれ、もう一つのあまり知られて
いない古国分神社とか古天神社と呼ばれている方が『古天神』なのです。
まず最初のミステリーは、二つの綱敷天満神社が何故誕生したか?ということから始まり
ました。



その理由は主に、現・桜井地区の江戸時代における領地割から来ていることと、当時の
古天神の不祥事によるものです。

まず一つ目の領地割りについてですが、関ヶ原合戦以前、桜井地区って古くは伊予国府
があった場所といわれており国分山城の城下町でした。
関ヶ原合戦時の城主は小川祐忠。彼は秀吉直参の武将で関ヶ原開戦時は西軍について
いました。
しかし、小早川秀秋の寝返りとともに東軍へ寝返ったのですけど改易。彼の領地は戦後、
東軍で活躍した藤堂高虎(今治藩)と加藤嘉明(松山藩)の二人に分けられました。
藤堂高虎が国分山城での領地運営を良しとせず今治城築城に至ったのは、江戸幕府が
開かれ安定した時代に、山城は不向きだったという説は伝えられていますが、他領と
2つに割られた城下町では領地運営が出来なかったという説はあまり知られていないの
ではないかと思います。
数年間の藤堂家と加藤家の緊迫した関係ののち、両家は互いに伊予国から他領へ転封と
なり、その後、松山藩と今治藩は、家康のおいである松平(久松)定行・定房兄弟が
大名として入ります。
そのため、彼ら久松氏の祖である菅原道真が祀られている綱敷天満神社は庇護を受ける
ようになりました。
神社にある梅鉢紋は菅原家の家紋であり、また、久松家の家紋も菅原家が祖ということ
で梅鉢紋という巡り合わせは面白いところです。

しかし、その後1713年に神前に魚を供えたことが別当国分寺との争論となり、1719年
まで宮出しが禁止されてしまいました。そのため、桜井村と旦村の氏子は松山藩に
天満宮造成を願い、今の綱敷天満神社(新天神)が誕生したというのが二つ目の理由です。

1765年以降、桜井村など6村は幕府直轄の天領となります。
その結果、この地域が物資の集積地となり栄え、桜井商人や彼らが関わっていた各地の
商人から新天神へ寄進が増えていったことにより、圧倒的大差で新天神の規模が大きく
なっていきました。


新天神
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古天神
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現在では規模の違いはあれ、境内にはともに家紋でもある梅の木が植えられ、
菅原道真公が亡くなったといわれる2月下旬頃には花が咲き誇り、梅の花の香りが辺り
一面に広がっています。


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by shinya-ue | 2010-11-01 03:23 | 歴史遺産 | Comments(4)
2010年 11月 01日

大成ケイボンさんガイド☆桜井ツアー(1)

10月31日、日曜日、待ちに待った日がついにやってきました。
宮窪のおっさん主催、大成ケイボンさんガイドの歴史ツアーの日。

過去この名コンビでの歴史遺産ツアーでは、延喜・野間地区の石造物、波方・大西地区、
小島砲台、玉川・鈍川地区を巡ってきましたが、今回は桜井周辺の歴史的文化遺産などを
巡るガイド付きツアーということで、今治市のブロガーさんを中心におよそ20名の方が
参加されました。
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実は桜井ツアーは2回目の開催ですので、前回参加した人にとっては「聞いたことある」
内容も行ったことがある場所もありました。なので幾分余裕顔の人もいたかなぁ。


今回のツアーのスタート場所は綱敷天満神社前の駐車場です。
ここで今回のツアーの簡単な説明と、さっそく綱敷天満神社についてのガイドが始まりました。
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ここ今治桜井の綱敷天満神社には、全国の天満宮と同じく学問の神様・菅原道真が祀られ
ており、『綱敷』の由来は菅原道真が太宰府へ左遷の途中、時化で避難した時、地元住民が
船のもやい綱を丸くし、敷物代わりとしてもてなしたことからだそうです。
その際、道真から地元住民へ自分の像を手渡し、自分が配地で没したならば、この像を
素波神として祀りなさいということで、大宰府で没したのち祠に祀られることになったのが
起源のようです。


綱敷天満神社の南側、梅林を抜けたところにあるのが素波神社です。
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話は戻って、スタート場所の目の前に有った常夜灯。
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このシンボリックな存在の常夜灯は、柳瀬吉富の建立とありました。
柳瀬家は吉富の曽祖父が棉替木綿制の創始者で、吉富が家業の木綿商を継いだあと
様々な業種へ事業を拡大。彼のおいが伊予綿ネルの創業者の矢野七三郎です。
かつて彼の会社があった場所は今の今治造船桧垣会長宅だなんてことがクイズになる
ケイボンさんのガイドツアーは予想がつきません、、、
また、吉富ゆかりの物が今治市内には点在し、今治中央図書館に柳瀬吉富の胸像が
あるようですので、近くを通った時には立ち寄ってみてはいかがでしょうか。



まだまだ続く桜井ツアーの模様は随時書いていきます。


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by shinya-ue | 2010-11-01 01:23 | 歴史遺産 | Comments(6)
2010年 07月 31日

新居浜選鉱場

こんばんは。

知らないことは知らないままで良い。。。ってことは無いと思います。
ブログを読んで知ったことや勉強になったこともあるし、
行ってみたいと思ったことや見てみたいと思ったこともありで、
ブログをやってて良かったこと、いっぱいあるんです。


新居浜のいつも通ってる道から山ひとつ向こう側に、こんな場所があるとは
思いませんでした。


星越の新居浜選鉱場です。
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この方のブログを読んで、初めて知りました。

偶然にもこのブログのおかげで、もしかしたらここが有ったことさえ知らないまま
無くなっちゃってたかもしれないという不幸からは免れましたが、結果的には非常
に残念です。


既に本来の役目を終えている古工場。でも、その存在価値を後世に伝える役目は与え
られず、取り壊されてしまうという事実は避けられなくなっています。
その価値を認め、遺そうと活動する方もいれば、諸事情により壊すと決める方も。
僕はどちらの言い分が正論だなんて言えません。
どちらにもそれぞれの正義があるから。



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今度、僕が幹事を担当する第14回バリブロオフ会。
以下、お知らせです。

******************************************************

第14回バリブロオフ会

日程 9月11日(土曜日) 開場19時より 開宴19時30分(時間は2時間半を予定。)

場所 無似舎(なにや) 今治市地堀1丁目2-23 お問い合わせ先 0898-41-5566

会費 5000円(飲み放題付き) 

最終締切 9月4日
 ※但し、一次募集期限の8月21日までに参加表明をして頂いた方には、早割価格
  として、一割引きの4500円にさせていただきます!!(かなりお得です!!)

参加条件 バリブロ会会員もしくは今治近隣のブロガーさん。
     mixi、イマソウ他のSNS加入者さん。
     その他、今治の町を大事に思ってる方、今治を盛り上げたい方等。
     (初対面でもすぐに仲良くなれる雰囲気を持ったオフ会です!)


参加ご希望の方は、このブログにコメントをお願い致します。


尚、今回は今治市郊外での開催となります。
一次会終了後、希望者のみ無似舎さんに残って二次会を行いたいと思います。
一次会とはまったく異なる無似舎さんの雰囲気、料理、お酒などをどうぞお楽しみください。
(もいかしたらスペシャル料理が出るかも!?)
できれば、二次会希望かどうかもコメント欄に入れていただけると助かります。


オフ会の途中には『お楽しみ』を予定しておりますので、乞うご期待ください!!
『お楽しみ』内容は当日まで内緒です。


それでは、宜しくお願い致します。



7/30時点の参加表明者は、

『日々の出来事』の宮窪のおっさん(1次会、2次会)

『磯くまの日々』の磯くまさん(1次会、2次会)

地域史研究家の大成ケイボンさん(1次会、2次会)

『素鵞庵主の晴耕雨読』の早矢伊吹さん(1次会+?)

無似舎衆のコレクト王子さん(1次会、2次会)

そして、幹事のカイザー今治支部長の6名です。
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by shinya-ue | 2010-07-31 03:37 | 歴史遺産 | Comments(2)
2010年 05月 04日

小島ツアー(続き・2)

こんにちは。

昨日、昼寝のしすぎで夜型人間になったみたいです。

一昨日までは早寝早起きだったのに。。。ですが、
足腰の筋肉痛にはご注意を。痛くて寝る事にならず、ブログで気を紛らわせてました。
昨夜は寝苦しいほど暑かったので、窓を開けたら蚊が入ってきまして、それが嫌なので
窓を閉め、また寝苦しい部屋の中で汗をかきかき。。。

ま、そんなことはどうでもよいことなのですけど。



さて、久しぶりに書く小島ツアー。
勢いをつけて一気に書ききらないと、なかなか書けないものです。
ただ、ここまで来ると書かないと、ですよね。


時期は桜の季節でした。
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南部砲台のあとは中部堡塁方面へへ向かいました。


その途中には椿のトンネルがあって、その中をくぐりながら進むと、弾薬庫跡がありました。

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屋根は抜け落ちてしまっていますが、煉瓦造りの頑丈な建物で、当時の姿が今も
綺麗に残っていました。

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床は嵩上げ。アーチ状に煉瓦を組まれています。
湿気から防ぐためにという機能性もさることながら、デザイン的にも明治時代の
仕事は細かいです。

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建物の中は草刈りなど整備されていて、中にも入れます。
夏になる頃には草が生い茂りとんでもない事になるのかもしれないですけど。。。

『天空の城ラピュタ』の世界にいるような気分です。




中部堡塁にようやくたどり着きました。

時刻はお昼前。
お腹がグウとなりそうな時間帯です。

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北部と南部が砲台と呼ばれているのに対して、中部だけ堡塁と呼ばれるのは何故か?

wikipediaでは、堡塁とは、敵の攻撃を防ぐために、石・土砂・コンクリートなどで
構築された陣地のこととあり、旧日本陸軍では、要塞を建設する際、対艦射撃用の
海岸砲台を「砲台」、海岸砲台の背面を守る陸戦砲台を「保塁」として区別されたそうだ。

ここの堡塁には観測所も弾薬庫も砲座もすべて揃ってます。

それにしても、、、この島の施設に関しては、外部から全く見えないようになってます。
陸地(波方側)から見ても、来島海峡大橋から見ても、構造物は全く見えません。
見える場所にあれば、簡単に艦船から攻撃対象とされてしまうからだと思います。

そういうのを知ってか知らずか、景観を損なわないという理由だったと思いますが、
大島にある亀老山展望台も直島にある地中博物館なども外部からは全く見えない構造に
なってましたね。(ゴールデンウィーク中は間違いなく混んでそうですけど。)

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ま、雑談はおいといて、この後はお楽しみの昼食のお弁当です。

昼食場所は、司令塔跡で。
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この島で一番高い場所にあるだけに、ここから眺める景色は最高です。
ただし、真夏は注意ですが。。。(日陰になりそうな場所はないので。)
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by shinya-ue | 2010-05-04 16:27 | 歴史遺産 | Comments(3)
2010年 04月 21日

小島ツアー(続き)

こんばんは。

昨日は力尽きました。
一昨日の続きを書いていきます。

昨日の小島記事はこちら


南部発電所を後にし、向かった先は南部砲台跡です。
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さて。
この辺りからいよいよ“海上の城 ラピュタ”ツアーは始まりを迎えます。

古代の繁栄はどこへやら、自然に還りつつある廃墟と言う意味では同じ。
施設の上に茂った草木がそのイメージをいっそう増幅させてくれます。


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まるで、向こうからロボットがひょっこりと歩いてきそうな感じです。
が、そんなロボットは居ません(笑)

この南部砲台は来島要塞の中で最初に設置され、明治33年(1900年)に竣工。
この要塞の設計には、当時陸軍工兵大佐で「日本工兵の父」と呼ばれた上原勇作が
関わっています。

上原は1877年に陸軍士官学校に入学。同期には小説「坂の上の雲」にも出て来る
愛媛県松山市出身の秋山好古がいます。1881年にフランスへ留学し、フランス陸軍で
工兵を学び、日本の工兵の近代化を進めました。
工兵とは土木建築に特化した兵科であり、自陣の築城や敵陣地の破壊、塹壕掘りや
地雷原の敷設など、直接戦闘に関わることは少ないけれども、重要な任務を持っています。


ここの半円状のくぼみ砲座?に12センチ加農(カノン)砲2門が装備されていました。
そして、ところどころで見かける四角いくぼみは、砲弾を収納する場所で、
砲弾を立てて置いていたそうです。(昔からデッドスペースを収納場所にしようと考えてる
人っているんですね。)
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ここのカノン砲がどこを向いていたかと言うと、、、
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木!?ではありません。。。
昔はこんなに茂ってはいませんでした。
というより、木が有っては使用できませんよね。
だって、このカノン砲は割と角度を上げずに直線的に撃つ兵器なので、
目の前に木が有ると非常に邪魔です。


結局、南の方を向いていました。
南の方とは、、、今治市側。
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この写真では少しずれていますが、中央の少し細くなった場所に、南部探照灯が
設置されておりました。


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見れば見るほど、やっぱりラピュタのように見えてきます。


つづく。


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by shinya-ue | 2010-04-21 21:53 | 歴史遺産 | Comments(6)
2010年 04月 19日

小島ツアー

こんばんは。

今日の玉川ツアーはとても勉強になり楽しい一日だったのですが、
それをブログにアップする前に、先週の小島ツアーを完結させなければ、
ツアーを企画してくれた宮窪のおっさんにも、ガイドをしてくれた
大成ケイボンさんにも申し訳ない気持ちで。
だから、急ぎ かつ 丁寧に完結させなければ。。。そして、今日の玉川ツアーも
出来る事なら早くブログに書きたい一心なのです。


ついに、小島に上陸。
港の前の案内看板の前で、大成ケイボンさんが概要の説明をしてくれました。

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僕たちが子供の頃から知っている小島の砲台跡。
正式には「陸軍芸予要塞 来島要塞」なのだと知る。
陸軍の施設だったんですね。


広島県側にある大久野島にあった砲台(=要塞)と、ここ小島を合わせて、
芸予要塞と呼びます。これらの要塞司令部は忠海(現、広島県竹原市)に
置かれました。
もう一方の大久野島は、のちに毒ガス島として有名となる島で、現在は国民
休暇村があり、夏はキャンプで大勢の人が集まる島なのです。


明治時代の日清戦争の後、南下政策を進める帝政ロシアを仮想敵国とみなし、
日本各地に防衛のための強化を行いました。

まず、第一に防衛する場所とは皇居がある(=国家元首・天皇陛下がいる)東京。
そして、海軍の鎮守府がある広島・呉がある広島湾などを防衛することになります。

そのため、瀬戸内海周辺の防備を考えると、関門海峡や紀淡海峡や鳴門海峡に
砲台が設置されることになりました。しかし、肝心な豊予海峡は幅が広く、
当時の大砲の能力からは防衛が不可能であり、その結果として、忠海海峡と
来島海峡の2か所が選ばれました。
この2か所が選ばれたのは、100メートルを超える戦艦が隊列を組んで通れる
場所は、この2か所しか考えられなかったからです。

この小島は、明治時代に築かれた建物等が今も状態の良い形で残っている、
全国にも珍しい場所です。


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昔軍道だった道を通りながら、先へ進みます。
基本的に要塞を見て回る道には椿の木が植えられていて、春には椿のトンネル。
見頃が終わると、椿の赤い花が地面に落ち、赤い絨毯となっています。

その赤い絨毯に感動するケイボンさん、その横で何も感じてない風な人達。
この微妙な感覚のずれが面白かったりもするのですが。。。


まずは南部発電所から。
ケイボンさんからは「料理に例えると、まだ先付」とのこと。
ここで感動してはならないらしい。。。
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しかし、この島にわざわざ発電所を置くとはどういうことか?
島民に電気を供給する訳ではなく、夜間に敵艦隊を確認するための探照灯の
電源の役目がありました。

このような発電所があと一箇所、北部にもあるのですが、北部との違いは屋根。
こっちの屋根は普通の家みたく山型なのです。
元々、屋根は抜け落ちてたのですが、数年前に葺き替えられたみたいです。

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内部も当時のままらしく、頑丈な煉瓦造りの建物はなかなか趣があります。


裏には高くそびえる煙突。
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以前、犬島で見た煙突に似たような感じもしますが、保存状態は格段に上です。


入口の前には門柱が残り、そこから横へは昔柵があったであろう跡が残ります。
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今回はココまで。
続きは明日以降に更新します。


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by shinya-ue | 2010-04-19 01:18 | 歴史遺産 | Comments(4)
2010年 04月 14日

小島砲台跡はラピュタなのか?(2)

こんばんは。

小島に上陸するまでわずか10分ほどの船旅。
でも、ただ乗ってるだけではもったいない。
せっかくなので楽しまないと。

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波止浜港に停泊している船からの眺めは、普段から見ているはずなのに
なんだかいつもとは違った感じがします。


船の右舷側には、今治造船本社工場で建造中の28000DW型ばら積み運搬船。
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今治造船のラインナップの中でロングセラー&ベストセラーモデルのひとつであり、
今までに100隻以上の船が建造されては世界の海で活躍しています。


船の後方には水門。そしてその向こうには近見山。
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ここ波止浜湾には造船所がいくつもあり、様々なカラーリングされたクレーンが
いくつも立ち並び、どこからどこまでがどの造船所なのかが分からないほどです。
この場所で、年間で大小50隻近い船が造られています。
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この湾内を抜けると目の前には来島が見えてきます。
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この島にはいくつかの思い出がありますが、最後に上陸してから数十年の月日が流れ、
久しぶりに上陸してみたい気持ちになりましたけど、この日の目的地はここではない。
次の小島が目的地。



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by shinya-ue | 2010-04-14 20:46 | 歴史遺産 | Comments(2)
2010年 04月 12日

小島砲台跡はラピュタなのか?(1)

こんばんは。

今日は待ちに待った小島ツアーに行ってきました。

我らが(!?)大成ケイボン氏のガイド付きという“一部の”歴史愛好家から
見ればとっても贅沢なツアーへ、いとも容易に参加させていただいたことに対し、
今回のツアーを企画してくれた宮窪のおっさんには感謝です。

ケイボンさんは日頃より尊敬すべき方なのですが、地域の歴史を語り始めると、
“水を得た魚”のように“絶えず湧き出す泉”のようになりまして、、、それが、
歴史だけかと思いきやそれ以外にも、一つの事だけでは収まりきらない程の知識が
ありふれている、そんな感じの方です。


さて。
波止浜港から船で10分ほどのところにある小島。

僕らのように今治市内の割と波止浜寄りにある近隣小学校へ通ってた人達は、
過去に遠足で行ったことがある筈で、その島には砲台跡があるということくらいは
知っている筈です。
でも、子供の頃にはまったく興味が無かった砲台跡がどれほどの価値を持った場所で、
そこに興味を持たせてくれたのがケイボンさんで、それを詳しく書いてあるのが
ケイボンさんの著書『しまなみ海道の近代化遺産』という本なのです。


その著書の中の“芸予要塞 来島要塞”の項で、この要塞の事を『海上の城ラピュタ』
と言っている一文が有ります。
これはまさしく宮崎アニメの『天空の城ラピュタ』をパクった(!?)ものですが、
廃れてしまった“ラピュタ”の画と、小島に残った要塞跡の姿が似ていると感じさせる
のでしょうか。
その真偽を確かめるために、今回は参加してます。
(えらく挑戦的な文になってしまいましたが・・・笑)




朝9時40分に旧八木亀三郎邸横の十味鳥駐車場に集合です。
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亀三郎邸って、意外なことに“普通に”道路沿いにあるんですよ。
豪邸って、門があって、広い庭があってという自分なりのイメージなんですけど。
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この辺りには、塩田で財を築いた方々の住宅がいくつか現存してますよ。
古民家オタクの方、注目です。



そんな亀三郎さん、波止浜港周辺にも名前が残っています。
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波止浜港フェリー乗り場前にある燈明台です。
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それでは今回はここまでです。
この後、フェリーに乗って小島へ向かいました。
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by shinya-ue | 2010-04-12 00:10 | 歴史遺産 | Comments(4)