カイザー日記

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2011年 10月 30日

シンボル広小路(序章)

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かねてよりこのイベントが有る事は知っていたし、たくさんの知人友人が各所で参加する
とあって、行かずにはいられない気持ちには変わりなく、他にもいろんな誘惑があれども、
気持ちが揺らぐことはありませんでした。


シンボル広小路です。


このイベントがどのような内容だったかは、後日またあらためて書きますが、
今朝読んだこの方のブログ記事によって、昔の思い出を再び呼び覚まされた
思いがしました。

基本的には、地域史研究家の大成ケイボンさんが愛媛新聞朝刊の水曜日に連載している
「四季録」の内容によりインスパイアされた部分が大きいですけども、つい子供だった頃
の出来事っていいますか、思い出みたいなものをコメント欄へ書いていましたね。
それと重複してしまうのですが。。。


僕らが子供の頃生まれ育った場所は旧今治市の郊外だったので、今治市の中心街に行く時は
「町へ行く」「町に行ってくるけん」という言葉をよく使っていました。
昔の人はそういう使い方をしていたんじゃないかと思いましたが定かではありません。
今、会社の若い子に「そういう使い方しなかった?」と訊いても、誰も「しないです」の
回答しかなく、世代間なのか地域間なのか、はたまた我が家だけ限定なのかは別として、
郊外=田舎、中心街=町(=都会)のような感覚だったのだと思います。

僕らが子供の頃は、特急・急行・普通列車(当時は汽車)が停まるオンボロの国鉄今治駅
の駅舎と、大小たくさんの船が発着する今治港の間に現在の市役所があって、その前に
ロータリーがあり、向かって反対側には今治高島屋がありました。
その隣にはニチイ今治店がありました。そこは現在のマルナカが有る場所です。
今も建物は残っていますが、ドンドビ交差点の一角には今治大丸があって、今の今治国際
ホテルの駐車場になっている場所にはダイエーフランチャイズの今治ショッパーズが存在
していました。
こうして、今治港から新町・銀座商店街を通って、百貨店や大型スーパーへ行くという
流れが出来、人の流れが絶えず切れなかったような記憶があります。

小さかった頃は、祖父母と母と弟と一緒に(父は日曜のほとんどがサッカーの試合でいな
かったので)、普段よりちょっぴりよそ行きの服に着替えて、最寄りのバス停まで歩いて
行き、バスに乗って市役所前のバスセンターで降りて百貨店や商店街を見て回り、屋上で
100円入れる遊具で遊んだり、おもちゃや本を買ってもらった後は、百貨店のレストランや
旧今治国際ホテルのレストランでお子様ランチを食べたりしてました。

こう見えて、子供の頃から一度も「グリルタイガー」には行ったことが有りません。
ずっと気にはなってたけど、お店の前を通るだけで入った事はないんです。
そんな状態のままお店は閉店してしまいまして、僕も関係ある会社が運営するコイン
パーキングに変わってしまいましたけど。


それからちょっとだけ大きくなり、自転車で友達と行けるようになってからは土曜夜市へ。
高島屋は小学生の頃に閉店してしまいましたが、ニチイや大丸が健在な時代。
今では滅多に見られないような位ごった返すような人だかりで、夜の7時や8時だというの
にニチイの中や外も大混雑していた記憶は鮮明に残っています。
ニチイの何階だったか忘れましたけど、お好み焼きとかたこ焼きを売ってたお店で、友達と
遅くまでなんだかんだと喋ってた思い出は残っています。

そんな今治市中心街の輝かしい栄光も、1984年に今治高島屋が閉店、1999年3月にニチイが
閉店・郊外へ移転し今治サティとなり、1990年代に今治デパートがダイエーグループから
離脱、2008年12月末に今治大丸が閉店と良くないニュースが続くにつれ影を落とす形となり
ました。
時代は郊外型大型店舗の進出が続き、大量の自動車が収容できる駐車場の確保が出来、
そこに行けば何でも揃ってしまう品揃えの良さで優位に立った郊外大型店の勝利。
商店街は閑散たる状態になってしまいました。
しまなみ海道の完成によって、今治港とそれぞれの島を結ぶ航路が廃止・減便になった事も
追い打ちとなり、島から出られない老人は地元で、自動車で動ける人は橋を渡って今治の
郊外店へ行くようになり、今治港からドンドビまでを結ぶ動線はほとんど機能しない状態へと。
全国どこの商店街でも問題となったシャッター街化。
今治でも同じような状態が続きました。


ですが、ここ数年の今治中心街は少しずつ生まれ変わろうとしています。
ほとんどの航路を失った今治港を「本来の港の機能」から「人が集まる場所」へ。
そして、港と商店街をひっくるめた再生を行い、再びかつてのように人が集まる場所となる
よう、自治体や企業や一般人が力を合わせて活動しています。
過去数年間で土曜夜市は徐々に(驚くほどに!)賑わいを取り戻しているようにも見えるし、
今までどうしてやらなかったんだろう?と思えるような企画が生まれては現実に実行されて
いる姿を見ると、「みんなが本気でやっている」と思えて、何か一つでも協力したいと思う
のです。
企画運営する人、何かを売る人、それを買う人。
どの人が偉いとかそうじゃないという訳じゃなくって、みんなで再生させていこうと願う
気持ちが大切なんじゃないかなぁって思いました。


今日、第一回目の「シンボル広小路」というイベントは終わってしまいましたが、今後、
今治市中心街から発信されるニュースを見逃す&聞き逃すことなく、参加して行きたいと
思いますし、もっと魅力を感じさせてくれるお店が増えてくれて、普段イベントが無くても
喜んで行きたいと思わせるような商店街へ生まれ変わってほしいと願っています。


今日は久々に文章だけを長々とでしたが、最後まで読んで下さってありがとうございました。
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by shinya-ue | 2011-10-30 20:38 | 日記 | Comments(0)


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