カイザー日記

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2011年 02月 06日

旧端出場水力発電所 一般公開前の見学会

先週の新居浜で行われたイベント「はまさい」のメインイベントの一つでもある、
『産業遺産バスツアー』に予約申し込みしてました。

新居浜に住んでる人は前売り券を取りに行けますけど、今治から新居浜へ仕事帰りに
でも行くのは大変。片道だけでも1時間ちょっとはかかりますから。
なので、受付だけ先にしてもらうようにお願いしていました。

当日受付もアリだったようですけど、午前と午後に1回ずつのツアー定員100人は、すべて
予約客で埋まっちゃうと思った僕は、早速、嫁にその日が仕事かどうかを確認して、自分と
娘の2人分だけ予約しておきました。午前中は「はまさい」の食の方を楽しみたかったので、
午後からの方に決めました。


そして、いよいよ当日。ついにその時がやってきました。

集合&受付場所は、メイン会場の「銅夢にいはま」から北へ少し歩いた所にある、
「口屋跡公民館」

ここがかつての新居浜(というか別子銅山)にとって重要な場所だったということですね。
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太鼓台の後ろに見える松の木が「j口屋あかがねの松」と呼ばれ、樹齢は300年以上。
新居浜が発展してきた歴史をずっと見守ってきたのだろうと思います。


ここで受付をしていると、予約はなんと定員の半分くらい。。。
今回の目玉が、一般公開前の産業遺産である旧端出場水力発電所の内部公開だけあって
もっと人々の興味が集まっているのかと思っていましたが、あまり興味がないのでしょうか?
それとも広報の失敗?なのか、、、
最終的には、当日申し込みでの参加者も増えて、ほぼ定員通りになったことから言えば、
広報の方かもなぁ・・・と思わざるを得ません。


バスに乗って、新居浜の街中を通り、山根公園横にある別子銅山記念館へ。

その道中、新居浜の街をバスから見た風景は新鮮でした!!

ガイドさんは午前の部に、別子銅山の歴史に詳しい方(今治でいえば、大成ケイボンさんの
ような方)がやってくれたようで、僕らが参加した午後の部には、あまり詳しい知識や情報を
持った方ではなかったのが少し残念でしたが、見て楽しい、感じて楽しいツアーでした。


別子銅山記念館では、まず館長さんから10分ほど、この記念館の紹介や、この記念館が
持つ意義などのご説明をいただきました。
開坑して以来ずっと住友が一貫して経営し続けてきたため、この記念館に収められている
ような貴重な資料がたくさん残っているのだそうで、その資料たちを写真に収めようかと思った
のですが撮影禁止。。。なので、記憶にとどめるだけにしました。


館内は次の5つのコーナーに分かれております。(HPから引用しました。)
1.住友の歴史を紹介する「泉屋歴史コーナー」
2.銅山の開坑から最近の関連事業まで裾野を拡げた「歴史コーナー」
3.鉱石などの「地質鉱床コーナー」
4.ここで働いた人たちの生活をしのばせる「生活風俗コーナー」
5.西洋の技術が導入されて以降の機材が並ぶ「技術コーナー」

4番の写真を眺めていると、今は森に還ってしまった場所に間違いなく人が住んでて、そこに
住む人々の暮らしがあったのだと感じます。今は東洋のマチュピチュと呼ばれている東平にも、、

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この記念館の前には、別子閉山の時に詠まれた歌の1フレーズが。
「この銅山(やま)を神とし仰ぎ幾代かも  掘りつぎて来しことの畏こさ」(住友吉左衛門友成氏)


ここにはかなり時間を超過しちゃってるのではないかと思うくらいに滞在してましたが、
次に向かったのが、昨年完成した青龍橋です。


マイントピア別子・端出場ゾーンの前を通り過ぎ、東平の方へ向かう途中に、ループ状の橋が
見えてきました。
ダム湖の上を龍が空へ向かって登っているような形の青龍橋。
この橋が完成するまでは、狭い道、狭いトンネルを通らなければその先へ行けず、事故など
絶えず危険の恐れがあった場所でした。

東平が注目されるにつれ、観光客が昨年だけでも一万人以上という人が行き来するので
作られたのでは??



それでは、いよいよ目玉商品(ガイドさん談)の旧端出場水力発電所です。
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マイントピア別子の川を挟んだ隣になる赤煉瓦造りの建物です。
別子ライン沿いにあるので、別子銅山の産業遺産物としては最も簡単に見られる建物なので
気になった方もいるでしょう。

通常は一般公開されていないのですが、近代化産業遺産に選ばれたドイツ製発電機とともに、
この発電所の内部を、今回のツアー参加者だけが見られるという特別なひととき。

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赤煉瓦が黒ずんでいるのは、太平洋戦争中に敵国からの空爆から防ぐため、わざと迷彩に
塗っているのだとか。

建設されたのは明治45年(1912年)。出力3000kwの能力を持ち、
当時としては東洋一の落差596mを利用して発電するものでした。
大正12年(1923)には、四阪島製錬所への送電を行うため、出力4500kwに増強され
ましたが、昭和37年(1962)の水利用計画の変更により、出力は1000kwに変更されています。
昭和45年(1970)に発電所としての任務を終えましたが、現在、西洋風レンガ造りの建物は、
ほぼ当時の姿のまま残っております。


シーメンス社(ドイツ語読みではジーメンス社)製の発電機。
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住友別子鉱山新居浜製作所(現・住友重機械・新居浜工場)で作られた発電機もありました。
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配電盤とかクレーンも当時のまま残っています。
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時間が経つのも忘れ眺めていましたが、そろそろ時間ということで、ここともお別れ。
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この日は特別寒かったと記憶してますが、空は澄んだ青色でした。
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森とともに生き続ける旧・端出場水力発電所。
一般公開されたらまた来たい場所です。



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by shinya-ue | 2011-02-06 10:53 | 日記 | Comments(0)


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