カイザー日記

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2009年 10月 20日

別子銅山 東平地区

こんばんは。
さすがに休日明けは体が辛かったです。

しかも、、、連休ではなく日曜日だけが休みというのは、肉体的にも精神的にも
リラックスは出来ていなんだろうなぁ、、、と。
今日は胃腸が弱ってるみたいでダウン寸前なのですが、そうは言っても日課の
ウォーキングは続けないと、一度休むと癖になりますから。


さて。
以前から行きたかった秘境、、、いや村に行ってきました。


別子銅山の東平地区です。

前回来た時には天気が悪く、霧に包まれ視界ゼロの中、恐る恐る車を走らせた
のですが、今回は天気が良く、ついに霧のベールから開かれた世界が待って
いるのかと思うと、ワクワクしました。

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遠くに新居浜市内をかすかに見ることができます。

別子銅山(東平地区)は、大正5年から昭和5年まで、別子銅山の採鉱本部が
置かれた場所で、当時の中心部だったところです。
その後、採鉱本部が移転してからも昭和43年まで稼働していて、最大数千人の
人口がいたとか。

現在、マイントピア別子となっている端出場地区から車で20~30分くらいの
山奥で、青年の家だか少年の家だかの看板を左折すると、対向車とすれ違うのも
大変な道をくねくね、ノロノロ運転でようやくたどり着ける辺鄙な場所です。


別子銅山 東平地区_b0146414_23485221.jpg

駐車場付近から下を眺めると、まさにラピュタかマチュピチュに来たような錯覚。
そうなんですよね、東洋のマチュピチュと呼ばれているらしく、山奥であったからこそ
人の手によって壊されることが少なく、現代に姿を残せたとも言えます。


別子銅山 東平地区_b0146414_23531428.jpg

210段もある大階段となっていますが、かつてはインクラインというトロッコ列車の
通り道だった場所です。


階段を軽快に下りると、貯鉱所跡があって、レンガを高く積み上げられた姿は
どこかの城壁かと見間違うばかりです。
別子銅山 東平地区_b0146414_0101615.jpg



ここからまたインクライン跡の階段を上がるのは面白くないと思っていると、
隅っこの方に下りられる道を見つけたので、興味深々で進んでいきました。
後で思ったのですが、蛇とかよく出そうな道をスイスイと進んで行けたのは
未だに疑問です。


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石を積み上げて作った平地、そして階段のよう。
本当に、ここに人が住んでいたんですね。


別子銅山 東平地区_b0146414_0202422.jpg

娯楽場の跡だったとか、でもどこがどうだったのかはよく分からず、
ただコンクリート製の橋があるだけです。


保育園の跡だったり、配給所の跡だったり、病院の跡だったり・・・
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間違いなく、ここには人々の生活が存在していました。
子供の声や井戸端会議の声や人々の息づかいなど、、、40年経った今ではまったく
感じることはできないけれど。



苔生した通路。
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これまでの歴史を感じることができるような気がします。



東平エリアは手つかずの廃墟だったところに住友の手で植林され、森に還っていき
ました。しかし、近年になると、近代化産業遺産としての価値が見直され始め、
マイントピア別子の第二期プロジェクトとして整備されました。
森を開拓し、一時期とてつもなく発展した地域が再び森に還るという循環、栄華盛衰と
言うべきかどうか迷います。でも、自然にとっては良いことだと思います。

しかし、このまま森の中に眠らせて良いものかと聞かれたら「NO!」と答えるでしょう。
私たちは忘れてはいけません。
今の住友グループの礎となった別子銅山のことを、そして、東平に一つの街があった
ことを。



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by shinya-ue | 2009-10-20 00:39 | 歴史遺産


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