2009年 05月 10日

長崎は今日も雨だった~その4

こんにちは、カイザー今治支部長です。


昨夜は遅い時間まで熱く語っていたため(酔っぱらいの戯言か・・・)
今日起きたらなんと11時(^_^メ)
そんなことは久しぶりでした。
頭も体もリフレッシュしたので、またどこかへ行きたいなぁと思います。




長崎は雨の街・・・とまでは言いきれないのですけど、長崎旅行2日目も雨です。

この日は長崎市内を軽く観光して、B級グルメツアー第2弾、佐世保バーガーのある
佐世保へ行こうと考えてました。




まずは、平和公園方面へ。

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これは平和祈念像です。
郷土出身の彫刻家・北村西望氏の作で、昭和30年(1955年)に完成。
像の高さ約9.7m、重さ約30トンの青銅製で、「右手は原爆を示し、左手は平和を、
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれています。


1945年8月9日11時2分。
アメリカ軍の原爆投下により、長崎市浦上地区は酷い損壊と尊い人命を失いました。
この像や、この地区に存在するモノを観ることで、あらためて『戦争の悲惨さ』や
『原爆の脅威』などを感じずにはいられません。


長崎は運命に操られた街だと言えます。
2発目の投下候補地の第2候補として挙がり、第1候補地の北九州市での失敗や
天候悪化のために長崎へ。
ただ、投下された地点の間違い(市内中心地に投下できなかった)や長崎が持つ
地理的な背景(周りが山に囲まれている)により、周囲への被害拡大が抑えられたのは
周辺地域にとっては救いでした。

もし、北九州に投下されていたならば、広島に投下された爆弾の1.5倍の威力を
もって、どこまで被害が拡大したのかは想像も出来ません。


そして長崎の人達の考え方。被爆した建物を保存することよりも、復興を優先させた
ことで、広島の原爆ドームのような遺産があまり残ってはいません。
取り壊しては再建された建物が多いのです。



浦上天主堂
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建設当時『東洋一の大聖堂』と呼ばれたこの天主堂も、原爆投下によって破壊され、
原爆ドームのように永久保存運動があった中で、再建への道へ進んでいきました。
現在の天主堂は鉄筋コンクリート製です。

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訪問した日は休館日で中には入れませんでしたが、中を覗いてみるとこのように
厳かな雰囲気があります。ステンドグラスの窓もとても綺麗。


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これは旧浦上天主堂の鐘楼です。
およそ50トンあるこの鐘楼が、35メートル離れたこの場所まで飛んでおり、
原爆の威力の凄さを感じることができます。
旧天主堂の遺構を見ることが出来る数少ないものです。


この周辺の壁や石垣を見てみてください。
ところどころで、真っ黒に焦げているんです。
原爆の光線によって起こったことがよくわかります。




原爆の恐ろしさを感じながら、この地をあとに。

次は、眼鏡橋を見に行きました。

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長崎市の中島川に架かる石造二連アーチ橋で、日本初の石造りアーチ橋と言われています。
1634年(寛永11年)に興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた橋で、
度重なる水害に耐え、大水害のため損壊しては復旧を繰り返しています。
1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定され、現在では有名観光地になっています。


水面に映った姿も含めて眼鏡のような形をしているから眼鏡橋。
周りの石垣とも相まって、落ち着いた風景となっています。



この後は歴史のお勉強。出島です。
この話はまた次に。



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by shinya-ue | 2009-05-10 14:46 | 日記 | Comments(0)


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