2009年 04月 28日

無似舎と造船所

こんばんは、カイザー今治支部長です。


またまた寝られません(--〆)
明日も仕事なのに。。。
このような生活はいつまで続くのか???





今回は、無似舎さんの続きです。


焼酎を飲みながら、料理に舌鼓。

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無似舎さん、お魚もお肉も野菜もその日のオススメを出していただけます。

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次の焼酎は、芋焼酎にしようと思えば、目の前に並べてくれます。

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どれにしようか迷ってしまいますけど、真ん中あたりに、やたら長い名前の焼酎が・・・

『紅芋にごり 小さな小さな蔵元で一生懸命に造った焼酎です』

って全部言うだけで疲れてしまい、もう2度と言いたくない名前ですが、
インパクトは最高です。

これは丸西焼酎合資会社という鹿児島県志布志市の蔵元で造られた焼酎です。
青みがかった瓶が綺麗ですね。


これも飲みやすい焼酎です。
総じて言えるのですが、美味くて良い焼酎は次の日まで残らないって・・・
本当なんですね~。

この日はそんなに飲んでいない方なんですけど、気分良く飲めました。



そんな時、大成ケイボンさんと中川さんが登場。(焼酎選ぶ前に来てました?)

この日、らーめんプロジェクトの会議で、しまなみソルトヒストリーの講座を行い、
燃え尽きてやって来たケイボンさん。

そんな時は、無似舎に来てエネルギーの補充をするみたいです。


しまなみ海道や瀬戸内海沿岸では、古代より塩づくりが盛んとなり、
塩はそれぞれの時代で財産となっているふしがあります。


製塩業の有名どころとしては、播州赤穂、安芸竹原、そして波止浜へと
技術伝播が進みます。
現在の今治市波止浜は、江戸時代当時は松山藩だったのです。

この『波止浜』という地名も塩に由来していて、
塩田開発に伴う潮止の堤防を「波止(はし)」、塩田を「浜」と呼んだことから、
「波止浜」という地名につながったと言われています。
今でも、「内堀」「地堀」といった塩田に関連した地名が残っており、
このとき作られた堤防の跡を現在の国道317号線が走っています。


今では、当時塩田だったという面影はどこにも残っていませんが、
昔の地図と見比べても地形は現在と全く変わっていませんので、
地図を片手に歩いてみるのも良いかもしれません。



さて、この塩田が起こったことで、製塩用の石炭を運ぶため、
波方で海運業が生まれ、この地に訪れる船を修理するために
造船所が誕生したというのは、以前にも書いた記憶がありますが、
塩田をつぶして造船所は造られました。


まずは、波止浜船渠。
現在の新来島波止浜どっくがある場所に造船所が作られました。

現在、山中造船を経営している浅海家が経営した時代があったり、
松山・三津浜で造船所を経営していた石崎金久を招聘して、
再建をしていた時代もあったようですが、業績はあまり良くなく、
坪内寿夫が社長就任した来島どっく時代に花開く形をなりました。



もう一つは、伊予木鉄造船所。
波止浜造船、ハシゾウを経て、現在は今治造船今治工場がある場所に
造船所が作られました。
波止浜船渠から去った石崎金久が設立者です。


そうして、同時期に企業合同で造られた今治造船とともに、
来島どっく、波止浜造船、今治造船の3社が、以降の今治造船界を
牽引するようになりました。


昭和40年代後半の3社の序列(=偏差値)は、波止浜造船、来島どっく、
今治造船の順だったそうです。
ですから、高校を卒業して就職するなら、第一候補は波止造と
言われていたみたいですね。


現在、倒産することなく残っているは今治造船だけとなってしまいました。。。

来島どっくは新来島どっくとなり現在に至り、
波止浜造船は新造船部門(多度津)は常石造船の傘下へ、
修繕部門(ハシゾウ)は今治造船の傘下となった後に消滅しました。


おっと。。。
またまた、造船の話ばかりになってしまいました。

今日も夜遅いので、このへんで。


無似舎さんでの事は、また次回に。



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by shinya-ue | 2009-04-28 02:11 | 日記 | Comments(4)
Commented by 大成ケイボン at 2009-04-28 09:30 x
バリシップが近づいていることもあってか、海事史の記事アップに力がこもってますね(^O^)/

今治の近代造船史を語るうえで、波止浜船渠㈱と伊予木鉄造船㈱の2社ははずせず、石崎金久という造船経営者もはずせませんね。

また、昭和戦後の今治の造船界をリードした波止浜造船㈱の技術力についても、会社が失われたとはいえ、未来へ語り継いでいく必要性を感じます。今治に造船業がある限り、波止浜造船㈱の歴史は大切にしたいですね。
Commented by カイザー今治支部長 at 2009-04-29 08:59 x
大成ケイボンさん

GWが終われば、5月も1週間が終わっています。
バリシップまであと数日となった今日この頃ですが、
市内各地で幟が立ち並ぶようにもなり、造船・海運業界でも
バリシップに対する盛り上がりを感じてるような気が・・・。

波止浜造船に勤めていた両親が出会い結婚したことで、僕が生まれました。 
その後は波方船主の皆さんがご存じのカイザー父なのですけれど。。。

Commented by 大成ケイボン at 2009-04-29 11:23 x
へぇ~、そういうご両親のルーツがあったんですね。
拙者は、愛媛の近代造船史を調査するにあたって、石崎金久翁のご子息・重久氏から聴き取り調査を行い、貴重な古写真等の記録資料に触れることができました。

波止浜造船のスピリッツは、波止浜船渠から受け継がれしもので、愛媛の近代造船史研究の核となる大切なテーマです。そこで、優秀な技術者が培われ、育ち、昭和の愛媛造船業界を牽引しました。その流れの中に、カイザー殿のルーツが存在していたんですね(^O^)
Commented by カイザー今治支部長 at 2009-04-30 23:50 x
大成ケイボンさん
愛媛の近代造船史については著書を拝読し学ばせていただきました。
昨日は、三津浜方面を走行中、造船所がある湾の横を通りましたが、予定があったため素通りしてしまいました。
石崎翁が建設されたドックがそこにはあったのですけどね。
また今度、じっくりと見せて頂くことにします。


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