カイザー日記

kaiserima.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2009年 03月 01日

桜井ツアー~第二章・もうひとつの綱敷天満宮~

お久しぶりです。
数日振りのブログ更新になっちゃってすみません。。。

頭痛・肩こり・体調不良などいろいろ重なり、
パソコンの前に座れない気分が続きましたが、
いよいよ今日から3月!!

今日からまた頑張っていきますよ。






さて、それでは桜井ツアーの第2章のはじまりです。


今治の綱敷天満神社(宮)って、2つ有ったの知ってました?
僕は正直そのことを聞くまで知りませんでした。

一般的に知られているのは、「桜井」にある綱敷天満宮(新天神)。。。
道路案内も出てますし、その通りに行けば簡単に行くことが出来ます。


でも、もうひとつの綱敷天満宮が、歩いて5分くらいの場所にあるんです。
その名は、別名「古天神」



なぜ、同じ名前の神社が近くに2つあるのでしょう?


なぜ、片方だけが隆盛を誇り、もう片方が寂れているのでしょう?


今回はそのミステリーについて書いていきます。





綱敷天満宮の境内を北の方角へ通り抜け、道路に面する場所に鳥居がありました。


そこでいったんストップ!!


ガイドの大成ケイボンさんより、「ここは昔のメインストリートです。」と説明が始まります。


「ええっ!!これが??」


どう見ても普通の道路ですし、自動車がすれ違うことができるくらいの道幅で、
とても今考えるとメインストリートとは言い難いものです。



一応、記念に写真をパチリ。

b0146414_2014039.jpg



この旭町の通りが、天領・桜井時代のメインストリートであり、
今でもところどころに古い街並みの景観を残しています。




いくつかの細い路地を通り抜けること数分、

b0146414_20321723.jpg



一つの鳥居が目の前に現れてきました。

b0146414_20343568.jpg




ここが、もうひとつの(元祖)綱敷天満宮です。
いくつかの地図では、古天神社とか古国分神社ともあります。


その証拠として、ところどころに梅鉢紋や梅林がありました。

b0146414_2042445.jpg
b0146414_20423243.jpg

b0146414_20434328.jpg



ここが本殿です。

b0146414_20365717.jpg



本殿の中はきれいに整理されており、作者は解りませんが絵馬もあるようです。

b0146414_20401168.jpg



本殿へ向かう参道沿いには歴史を感じる玉垣がたくさんありました。

久松子爵(今治藩主)とか
b0146414_20451837.jpg


阿部平助(今治タオルの発祥の人?)などもあり
b0146414_20453230.jpg


当時、かなりの要人・富豪が寄付をしていた事がうかがえます。



それほどの神社がなぜこのように寂れ、もう一方が隆盛に至ったのでしょう?



それは、また江戸時代にまで遡ります。


関ヶ原合戦直後の伊予国は、松山藩(加藤領)と今治藩(藤堂領)となり、
反徳川方について敗れた来島家の領地(今でいう旧北条市、今治市南部、旧東予市一部)は
徳川側に取り上げられた後、この両者(加藤領と藤堂領)へ半分ずつ分けられました。

しかし、「慶長五年領主間協定書」によると、それぞれの地区が真っ二つに分けられることに
なっています。

そのため、旧来から今治藩の城下であった国分山城下の町が真っ二つとなり、
城下の統治が困難になったため、藤堂高虎は現在・今治城がある地への移転を決意します。

そうすると、当時、敵対していた加藤嘉明は、自領であった今治市拝志
(現在のワールドプラザの場所)へ拝志城を築き、藤堂氏を牽制したと言われています。
(加藤氏と藤堂氏はかなり敵対していたと言われており、両家間では幾度となくトラブルが
起こっていたようです。)


このように、数多くの飛び地で、藤堂氏と加藤氏の2人が分け合うということとなり、
その状態は、久松松平氏が伊予国(松山藩と今治藩)へ入国してからも続きます。



その後、今治領であった古国分村に綱敷天満宮が造営されますが、
1711年に神主が失態を冒し、しばらくの間、宮出し禁止となります。


しかし、松山藩であった桜井村の村人は、宮出し禁止になったのは自分達には関係ないと、
1720年、自分たちの村(桜井村)に新しく綱敷天満宮を造営しました。

これが現在の綱敷天満宮であり、新天神と言われます。
そして前回も書きましたが、江戸後期より桜井商人たちが、この新天神へ多くの寄進を
するようになり、現在、その隆盛であった頃を見ることができます。

その一方で、古国分村の古天神の方は、いつの間にか住所が桜井へと変わり、
「今治桜井の綱敷天満宮」としての存在は、新天神の方へ完全に譲ってしまうことになります。



このようにして、いくつもの複雑に入り乱れた歴史や事柄の積み重ねにより、
現在の2つの綱敷天満宮のミステリーは起こりました。

このように、ひとつの事柄や建築物から歴史を紐解いていくと、いろいろな事が分かってきて、
そのひとつひとつに楽しさを感じることが出来ます。
これこそまさに歴史のロマンというものではないでしょうか?



四国ブログランキングに参加しています。
もし応援して下さるのでしたらクリックしてください。
人気ブログランキングへ
[PR]

by shinya-ue | 2009-03-01 21:43 | 日記 | Comments(6)
Commented by 大成ケイボン at 2009-03-01 23:12 x
 ブラボー(^O^)/ 
 関ヶ原合戦後の領地二ツ割の歴史背景と二つの綱敷天満神社の歴史背景をうまく関連させ、編集して下さいました。カイザー殿らしいマメなまとめ方に、拙者は感心致しております。
 これなら、二つの綱敷天満神社のガイドも十分できますよ。
Commented by カイザー今治支部長 at 2009-03-02 08:20 x
大成ケイボンさん、おはようございます♪

嬉しいコメントありがとうございます♪

これで俄然やる気が出てきましたよ~(o^∀^o)
Commented by リヒテ at 2009-03-03 03:30 x
はじめまして今晩和 わたくしリヒテと申す者ですm(_ _)m
バリブロという存在を最近知り、初めて日記を拝見させていただいたのですが…
∑とっても感動しました!
家から近い神社の歴史・・・そういうことだったんですね!解りやすくて ためになりましたw

ブクマしちゃいましたのでまた馳せ参じ応援しますw
よろしくお願い致します(*´∪`*)
Commented by カイザー今治支部長 at 2009-03-04 02:57 x
リヒテさん、はじめまして♪
家から近いということは、今治市にお住まいですか?
ぜひ僕の知らない情報など教えてくださいね。

えっと、今回の桜井ツアーを通し、いろいろな事が勉強できて
とても良かったです。今度のツアーには参加してみては?

またまた是非お越しくださいね(^o^)/
よろしくお願いいたします。
Commented by 大成ケイボン at 2009-03-04 21:22 x
 やはり、身近な地域の歴史を知ることは、とても大切なことですね。気になることは、ちょっと掘り下げてみると、過去のことが現在・未来につながったりもします。今治には、そういう題材が数多くあります。
Commented by カイザー今治支部長 at 2009-03-04 23:58 x
大成ケイボンさん、いつもありがとうございます。

世界は広いと言われますが、私たちが住んでいる今治だけでも
十分広いと感じてます。

北部(波止浜、波方)、中心部、南部(国分、桜井)に加え、新たに島嶼部も今治市となり、それぞれの地域に様々な歴史や文化があり、それらを掘り下げていくほど、いろんな事が見えてくるような深みが、この今治地域にはあるのではと感じています。

パッと見ただけでは、お城(といっても歴史の無いお城ですけど)があって、造船所があって、中心街がちょっと寂れがちで、焼き鳥屋さんがあちらこちらにあって・・・という、ただの地方都市でしかありませんが、いろんなところ歴史的魅力がある良い街だよ♪と、他所の人から言ってもらえるようにしていかなければと思います。

まずは発信しなければ誰にも気付いてもらえませんから、その役目をみんなでしていきたいですね。


<< 桜井ツアー~第三章・桜井漆器の繁栄~      桜井ツアー~第一章・綱敷天満宮~ >>